犬の十戒

映画やドラマの喧嘩のシーンが怖い。キツい声や言葉で相手を威圧するような場面があると心がざわざわしてまともに受け入れられなくなってしまう。

 

幸いにしていまの生活環境では粗暴な言葉遣いをする人に接する機会が少ない。またすぐ手や足が出るような人もいない。感情に突き動かされている人の記憶があまり出てこない。周りは皆わりとお育ちがよろしいので元々の言葉遣いが崩れるということもない。耐性がないのだ。

 

声の低い男の人に ふざけんな ○○じゃねえんだよ、などと強めの声で言われるだけで、たぶん本気で怒ってはいないのだろうとわかっていても涙が出そうになることがある。

一方で、これはこの人にとって珍しい言い方ではないのだろうな、こういうのが普通の生き方をしている人なんだろうな、とも思う。

 

犬の十戒 の一項目を思い出す。  わたしを叩く前に思い出してください、私にはあなたの手を簡単に噛み砕ける牙があることを。それでもあなたを噛まないようにしていることを  と言った内容の項目を。

 

普段私に接している人は、強い力や言葉や悪意を以って私をめちゃくちゃに傷付けることだって可能なのだ。心を身体を再起不能なまでに叩きのめすこともできるのだ。しかし彼ら彼女らの理性や優しさによって、それらの暴力は丁重に包み隠されている。

 

部屋で二人になって生きて帰れる保証はないなとか、いま相対している相手が逆上したら私に危害を加えるかもしれないとか、考えてもきりがないけれど、理論上いつ起きてもおかしくない。

 

そして私も誰かのなにかを傷付ける存在になりうるのだ。静かなコンサートの最中に突然 うわーっ!! って叫んだり会社で取締役員を1人ずつ刺してまわったりする妄想ばかりしながら、普段はおとなしくしている。