日々のような夢

あなたから折り返し電話をもらう夢を見た。

 

何の用ですか、まあ変わりなく。

こんど中国出張があるんです。

 

舞い上がるような気持ちで他愛もない話をしているうちに、どうしようもなくこれは現実ではありえないと、心が気付いてしまった。

身体の端から現実に侵食されていく世界の中で、ありがとう、好きです、どうかお元気で、とスマートフォンに叩きこむように叫ぶ。

そうあってくれさえすればいいと常に願っていることを。実際にあなたに届くわけもないのに。

たとえ利己的な夢の中の幻でも、私は手放しにあなたの無事を祈りたかった。それができる自分でありたかった。

 

 

夢は醒めて、私はひとりで布団の上に取り残される。涙で耳がひたひたに濡れている。

まだ自分にこんなに大きな感情の出力が残っていたのか、と思う。

 

あなたの声がまた聴ける以上の喜びは、私には無いこと。そしてそれはもう現実には起こり得ないこと。その事実を痛いほど突きつけられる。

 

もう夢でしか幸せになれない。

四方四季

固有名詞曰く、彼はどうも別に私のことを嫌ってはいないらしい。

 

もちろん自分でも、嫌いだったらそんなことしなくない?? と勘違いしそうになったことはあるし、状況を報告した相手にも同様の反応をしてもらえることはある。
でも、ここで過去を美化した文章を書き記したり、信頼できる人に話したりしている以上にずっと私は、あなたに嫌われて一生拒否されてもおかしくないことをしてきた自覚があったのに。


どうして、と掴みかかりたくなる。
私はあなたの思い出したくもない過去の象徴ではなかったんですか。
それとも、私の存在は、あなたに良くも悪くも爪痕ひとつ残せない、何の印象にも残らないものだったと?

 

私は大切な人の薄黒い隠したい汚点であると自覚して生きてきたのに、
あなたにとっては私は、別に呪いの枠でもなんでもなく、気を置かず話せる数少ない学生時代の友人らしかった。

 

なんだ、あの時のままでよかったのか、という安堵と、
それでいいの? ほんとうに? そんなことありえないと思って聖遺物として生きた今までは? という取り返しのつかない喪失感に挟まれて身を焼かれる。


それでももちろん、特別な相手に悪く思われてはいないということは、良いか悪いかで言ったら当たり前に良くて、望むべくもないありがたいことなので、
私にはあなたの言葉をそのまま文字通り受け取るしかない。


後ろめたいことなど何もなくなって、つい気持ちを伝えてしまったりなんかして、拒否もされず現状を肯定されて、これ以上一体何を望むというのか。

 

 

私たちだけの岸辺に、舟はとうに流れ着いていたらしい。

スイングバイ

好きな人を10年間心の中で飾って拝んで引きずり回してとうとう、こんなのお互いのためにもうやめよう、私はあなたを解放しないといけない、と決心した。

いくら私とはいえ、好きな人の生存確認が年に一回できるかどうか、それさえ次回があるかもわからない、というのは流石に辛くて、
言葉にして終わらせるのがお互いのためだと、あなたが現実世界の人になってやっと、避け続けて曖昧にしてきた関係を清算する気になった。

 


好きです。
知ってる
付き合ってください。
やめときなさい どうして今更?
こうでもしないと、あなたのことを手放してあげられない。
放さなくていいじゃない。私とあなたなんて、ずっと続くんですから。

 


どうしてだよ。
こんな私の愛ともつかない重い気持ちを一方的に向けられて、あなたは迷惑している。だから終わらせてあげないといけない。それが大前提だったのに。そうでないといけなかったのに。

あなたにも、諦念混じりとはいえ継続の意志があるというのなら、もちろんやっと掴んだその合意を手放す私ではない。

私は何があろうと永遠にあなたを愛している。そのアイデンティティを自ら捨てようとして、それをあなたに当たり前のように拾われて、大切なものとして手のひらに乗せ直された。

あなたの面影を勝手に切り取って、偶像として隠し持って引きずり回していたはずが、
まっすぐ伸びた影のたもとには、確かにあなた本人が立っていた。

 

こうして私の何ヶ月にも及ぶ逡巡と覚悟は打ち砕かれて、更新された呪いの上を、今後も生きていくことが確定した。

 


舫いを解かれてなお、つかず離れず流れていく二艘の舟のように、
私たちが望んだ平行線を、これからも歩いていく。

ターミナル

きっと遠くない先、天命に背いて今生を出ていくあなたに、何もできないままでいる。

私の存在が、あなたに良い影響をもたらすことはこれまでもこれからも無いし、できるだけ活動の痕跡を消して行こうとしていることに逆らって、残存の文章や音声を手元に保存しているのも、あなたの望むことではない。

 

いつも、薄く引き延ばした死と絶望のヴェールを纏ったような表情をしていた。それこそがあなたをどうしようもなく美しく見せていることには、最初から気付いていたのだと思う。

あなたはずっと死に惹かれていて、それこそがあなたの特性で、そして魅力であるのが大前提だったとしても、実際にあなたを失うということがどういうことか、私はまるでわかっていなかった。

見た目以上にしっかり高い体温も、しなやかな身体も失われて、乾いた細かい骨だけが小さい容器に収まって、きっと一通りの旅立ちに私は立ち会えない。

あなたがコンプレックスにしている下の名前から取られるであろう戒名に、苦笑いする本人はもうその時にはいないこと、

でも長年の本懐を遂げた人に送るべき言葉は、おめでとう、お疲れさまでした、しかないんだろう。

 

あと何回か会えたら神様の座から引きずりおろしてただの凡人にできる、と思っていたのは大きな間違いで、あなたはただの愛しい現世の存在になった。

これが最後かもしれない、もう会えなくてもいい、とは毎回思うものの、それは本当はあなたがどこかで生きている、奇跡みたいに会える可能性が残されている、という前提の上でだった。

一筋の望みもなく、完全に未来が絶たれることを思うと、縋る先を失って立ち上がれなくなる。

心のどこかでわかっていても、いつか青天の霹靂のように報せを聞いた途端、おそらく私は足場を失ったカートゥーンアニメーションのように崖の下に落ちる。

ここにもきっと何も書けなくなる。

今のうちに、あなたがいる間に、なるべくたくさん考えて自分の言葉を残すことが、望まれているはずもないが、私にはこれしかできない。

 

死んでもいい?

いいよ。

腕の中の私が本当は よくないよくないよくない!! 行かないで!!!! って叫びだしそうなのも、それでもあなたの意志を尊重していつか黙って泣くことも、きっとあなたはわかっていたのだと思う。

無法

何度もスマートフォンを布団に投げつけてあ゙〜〜〜〜!!!! と叫ぶような紆余曲折を経て、去年、固有名詞とカラオケに居合わせる機会があった。

固有名詞はカラオケはおろか、校内の合唱コンクールの場でさえ歌うことをいやがるような人だったので、そして私も彼の趣味界隈の集まりに干渉することはありえないと思っていたため、これは私の天地を揺るがす出来事だった。

 

一曲だけ、デュエット曲でもなんでもない曲のハモりに私が入る形で、固有名詞と一緒に歌った。

私のことなんて何も気にせず、モニターだけをまっすぐに見つめて歌う固有名詞と、もう歌詞も音も頭に入っているので固有名詞だけを見て合わせに行く私と、傍から見ればおかしな絵面だっただろう。

オフ会主催の男子学生が、あろうことか私たちを知り合いと知らずにそれぞれ個別に声をかけてくれたわけだが、彼はしきりに「すげー!! 息ぴったりですね!!」と感心していた。

私は、固有名詞がその歌をカラオケで歌ったことがあるという情報を得て、万に一つの可能性のために念入りに準備して行ったので、さもありなん、である。

 

今はもうその趣味界隈に固有名詞は居らず、その時の音源だけが手元に残っているが、まあ調和とはほど遠いがちゃがちゃの二重奏だ。

それでも、私が必死で追走しているだけで成り立っているこの構図が、私たちの象徴だ。

 

 

夢の上

エシレのフィナンシェを買って好きな人に会いに行った。

 

夢に見た通りの表情で現前する本人のまなざしで、諦めたまま返信を待った日々や、勝手に声や面影や文体をあなたに重ねてきた大勢の皆さんが跡形もなく崩れて消えて、ただ2023年の私たちが再会できた事実だけがそこにあった。

 

10年ですよ、と固有名詞が言う。変わりませんね、私たちは。

後ろを振り向きもしないままで、ちゃんと私が追走してきているのを確信している固有名詞と、日常の変化に干渉されない心の深いところで固有名詞を信仰している私と、この関係は何年会わなくても、もう会えなくても変わらないでしょう。

 

10年前の私が喉から手が出るほど欲しがった、実現するはずのなかった未来を一日だけ手に入れて、何をするでもなくただただ雑談と眠りを繰り返しながら、自分が来られる最果ての場所から、気が遠くなるようなここまでの道程を振り返った。

初めて固有名詞の実家の部屋を訪れて、それまで自分が見上げていた窓の内側から、いつもの道路を見下ろした2013年の冬を思い出す。私は今、夢の上に立っている。

 

 

何度も奇跡が起こって、でも何度機会を重ねたところで毎回、これが時間をかけすぎたさよならの儀であることを再発見している。それでも、言葉に言葉が返ってきて、私たちの歴史の最終更新日が上書きされるならば、望むべくもない僥倖なのです。

 

次の10年もよろしくね、と叩いた軽口には、諦めたような微笑みだけが返ってきた。

 

 

観測者

好きな人(固有名詞)のことを野生動物だと思っている節がある。

私の意思や言葉の通じない、自由で気高い生き物。

男性としてや人間としてというよりも、その美しい儚い命の部分に、どうしようもなく惹かれている。幼い頃に偶然見たイルカに魅せられて、好きが高じて海棲哺乳類専門の写真家になった人みたいに。彼を追い続けることが人生の使命だと思っている。

見返りやファンサービスは無くて当然。「気持ちを通わせる」なんて言葉には吐き気がする。痕跡だけでも見つけられれば御の字。指の先から去り行く後ろ姿まで特別で目が離せない。ピントのぼけた写真も削除できない。

 

野生動物に願いは通じないので、出会いは偶然だし、時折降らせてくれる供給は全部気まぐれによるもので、でも体制を整えてずっと待っていないとその瞬間に立ち会うことはできない。私には祈って待つことしかできない。会っている間も、息を潜めるように彼の動向を邪魔しないようにして、欲しい言葉で相槌を返すことしかできない。

 

もちろん彼は実際は一人の人間なので、他の人とは人間のコミュニケーションをして社会的に生きている。

彼の人格や言葉を直視せずに、ただ美しい生き物の箱に押し込めてこんな関わり方しかできない私は、全然まともに友達やそれ以上をやれているとは言い難いし、人生の恋愛のステージを賭して動物写真家をやるべきではない。

 

それでも、薄い薄い望みの果てで、幻みたいに憧れた姿かたちをとうとう視認すること以上に脳汁が出る瞬間ってこの世にないので、

私は観測をやめられずにいる。