ターミナル

きっと遠くない先、天命に背いて今生を出ていくあなたに、何もできないままでいる。

私の存在が、あなたに良い影響をもたらすことはこれまでもこれからも無いし、できるだけ活動の痕跡を消して行こうとしていることに逆らって、残存の文章や音声を手元に保存しているのも、あなたの望むことではない。

 

いつも、薄く引き延ばした死と絶望のヴェールを纏ったような表情をしていた。それこそがあなたをどうしようもなく美しく見せていることには、最初から気付いていたのだと思う。

あなたはずっと死に惹かれていて、それこそがあなたの特性で、そして魅力であるのが大前提だったとしても、実際にあなたを失うということがどういうことか、私はまるでわかっていなかった。

見た目以上にしっかり高い体温も、しなやかな身体も失われて、乾いた細かい骨だけが小さい容器に収まって、きっと一通りの旅立ちに私は立ち会えない。

あなたがコンプレックスにしている下の名前から取られるであろう戒名に、苦笑いする本人はもうその時にはいないこと、

でも長年の本懐を遂げた人に送るべき言葉は、おめでとう、お疲れさまでした、しかないんだろう。

 

あと何回か会えたら神様の座から引きずりおろしてただの凡人にできる、と思っていたのは大きな間違いで、あなたはただの愛しい現世の存在になった。

これが最後かもしれない、もう会えなくてもいい、とは毎回思うものの、それは本当はあなたがどこかで生きている、奇跡みたいに会える可能性が残されている、という前提の上でだった。

一筋の望みもなく、完全に未来が絶たれることを思うと、縋る先を失って立ち上がれなくなる。

心のどこかでわかっていても、いつか青天の霹靂のように報せを聞いた途端、おそらく私は足場を失ったカートゥーンアニメーションのように崖の下に落ちる。

ここにもきっと何も書けなくなる。

今のうちに、あなたがいる間に、なるべくたくさん考えて自分の言葉を残すことが、望まれているはずもないが、私にはこれしかできない。

 

死んでもいい?

いいよ。

腕の中の私が本当は よくないよくないよくない!! 行かないで!!!! って叫びだしそうなのも、それでもあなたの意志を尊重していつか黙って泣くことも、きっとあなたはわかっていたのだと思う。

無法

何度もスマートフォンを布団に投げつけてあ゙〜〜〜〜!!!! と叫ぶような紆余曲折を経て、去年、固有名詞とカラオケに居合わせる機会があった。

固有名詞はカラオケはおろか、校内の合唱コンクールの場でさえ歌うことをいやがるような人だったので、そして私も彼の趣味界隈の集まりに干渉することはありえないと思っていたため、これは私の天地を揺るがす出来事だった。

 

一曲だけ、デュエット曲でもなんでもない曲のハモりに私が入る形で、固有名詞と一緒に歌った。

私のことなんて何も気にせず、モニターだけをまっすぐに見つめて歌う固有名詞と、もう歌詞も音も頭に入っているので固有名詞だけを見て合わせに行く私と、傍から見ればおかしな絵面だっただろう。

オフ会主催の男子学生が、あろうことか私たちを知り合いと知らずにそれぞれ個別に声をかけてくれたわけだが、彼はしきりに「すげー!! 息ぴったりですね!!」と感心していた。

私は、固有名詞がその歌をカラオケで歌ったことがあるという情報を得て、万に一つの可能性のために念入りに準備して行ったので、さもありなん、である。

 

今はもうその趣味界隈に固有名詞は居らず、その時の音源だけが手元に残っているが、まあ調和とはほど遠いがちゃがちゃの二重奏だ。

それでも、私が必死で追走しているだけで成り立っているこの構図が、私たちの象徴だ。

 

 

夢の上

エシレのフィナンシェを買って好きな人に会いに行った。

 

夢に見た通りの表情で現前する本人のまなざしで、諦めたまま返信を待った日々や、勝手に声や面影や文体をあなたに重ねてきた大勢の皆さんが跡形もなく崩れて消えて、ただ2023年の私たちが再会できた事実だけがそこにあった。

 

10年ですよ、と固有名詞が言う。変わりませんね、私たちは。

後ろを振り向きもしないままで、ちゃんと私が追走してきているのを確信している固有名詞と、日常の変化に干渉されない心の深いところで固有名詞を信仰している私と、この関係は何年会わなくても、もう会えなくても変わらないでしょう。

 

10年前の私が喉から手が出るほど欲しがった、実現するはずのなかった未来を一日だけ手に入れて、何をするでもなくただただ雑談と眠りを繰り返しながら、自分が来られる最果ての場所から、気が遠くなるようなここまでの道程を振り返った。

初めて固有名詞の実家の部屋を訪れて、それまで自分が見上げていた窓の内側から、いつもの道路を見下ろした2013年の冬を思い出す。私は今、夢の上に立っている。

 

 

何度も奇跡が起こって、でも何度機会を重ねたところで毎回、これが時間をかけすぎたさよならの儀であることを再発見している。それでも、言葉に言葉が返ってきて、私たちの歴史の最終更新日が上書きされるならば、望むべくもない僥倖なのです。

 

次の10年もよろしくね、と叩いた軽口には、諦めたような微笑みだけが返ってきた。

 

 

観測者

好きな人(固有名詞)のことを野生動物だと思っている節がある。

私の意思や言葉の通じない、自由で気高い生き物。

男性としてや人間としてというよりも、その美しい儚い命の部分に、どうしようもなく惹かれている。幼い頃に偶然見たイルカに魅せられて、好きが高じて海棲哺乳類専門の写真家になった人みたいに。彼を追い続けることが人生の使命だと思っている。

見返りやファンサービスは無くて当然。「気持ちを通わせる」なんて言葉には吐き気がする。痕跡だけでも見つけられれば御の字。指の先から去り行く後ろ姿まで特別で目が離せない。ピントのぼけた写真も削除できない。

 

野生動物に願いは通じないので、出会いは偶然だし、時折降らせてくれる供給は全部気まぐれによるもので、でも体制を整えてずっと待っていないとその瞬間に立ち会うことはできない。私には祈って待つことしかできない。会っている間も、息を潜めるように彼の動向を邪魔しないようにして、欲しい言葉で相槌を返すことしかできない。

 

もちろん彼は実際は一人の人間なので、他の人とは人間のコミュニケーションをして社会的に生きている。

彼の人格や言葉を直視せずに、ただ美しい生き物の箱に押し込めてこんな関わり方しかできない私は、全然まともに友達やそれ以上をやれているとは言い難いし、人生の恋愛のステージを賭して動物写真家をやるべきではない。

 

それでも、薄い薄い望みの果てで、幻みたいに憧れた姿かたちをとうとう視認すること以上に脳汁が出る瞬間ってこの世にないので、

私は観測をやめられずにいる。

随に

ブログを開設してから4年の月日が経って、当初から考えるとずいぶん遠いところに来たものだと思う。

私は身体各所の医療脱毛を済ませたし、もうあるはずがなかった固有名詞とのエピソードも奇跡みたいに更新された。

それでも変わらないこともあって、私がまだ固有名詞のことを引きずり続けていることや、彼がぜんぜん私のことを好きではないことは、4年経っても10年経っても同じままだ。

 

私たちはきっとまたどこかで会えるのでしょう。

それでも、それは引き合う力ではなくて、あなたの行く先に、路傍の石のように気にも留められない私が同席を許されるというだけの経緯で。

 

私にできることは、旧友の特権で気安さと好意を許容された安全圏を守るために、せめてしつこくない程度にこの生殺しの関係を保っていくことだけだ。

 

 

 

 

 

 

 

フロンティア

エシレのフィナンシェを買って好きな人の部屋に行きたい。

 

固有名詞と会って別れて数日経つと毎回、ついこの前の記憶が夢の中のことだったような気がしてくる。ぼんやりと、でも無視できない確かさで、もう会うことは無いんだな、と思う。

向こうから、あなたとはずっと続くと思いますって、いつも帰り際にはまたそのうちって言われて、実際それで何回かは会っているとしても、

次の約束なんて無いわけだし、いついつもの真顔と無神経さで「彼女が出来ましたんで…」とか言われるかわからない。

いつかは確実に最後になるんだから、毎回もう会うこと無いんだろうなで合っているんだと思う。

 

元々、もしインターネットの海で生存が確認できればそれでいい、もう一目会うこともないだろう、とまで思っていた相手だ。

そんなスタンスでいたところに、一緒に食事をする機会があったり、自分だけのために美しい声を降らせてもらえたりするようなことがあれば、それだけで願ってもない僥倖だし、許容量を超えた供給に気が狂いもする。

言葉になったら終わってしまうところを、約束も責任もなく遂げようとする抜け穴のようなずるさ、意味のわからなさに、私も黙ったまま付け込んで享受するがままになっている。

 

私を懐に収めたままの姿勢で、固有名詞が、恋うている女性のことを、完璧な存在でした、と言った。

明かりを消した部屋で、彼が手の届くような所にあるものはなんにも見えていないような目をしているのがわかった。

私が一生の思い出にしようとしていることは、貴方にとっては心の大切な部分を差し出す行為ではないこと、恋や情緒に抵触しないような造作もないことで、そうでもなければ私に許してくれるはずもない。

 

この先でまた会えるとしても、どこまで行っても、私が本当の意味で固有名詞に触れられることはない。それだけが確かだ。

 

 

 

 

ボーナスステージ

なんとなくわかってしまった。

同じステージには上がれない。

ここはボーナスステージだ。

結果や選択がメインの人生に繋がることはない。

 

もう会うことは無いと思っていました、と固有名詞に言ったら、「私は、貴女とはずっと続くと思っていますけど」と即答された。

連絡しすぎても迷惑でしょう、という言葉も食い気味に否定された。あまりに情けないチケット制の終焉である。

 

好きでもないのに会うなよなのか、好きでもないのに会ってくださってありがとうございますなのかはわからないが、

どうして会ってくれたんですか、って尋ねたときに毎回「まあ、暇なもんで」って言われるのが全てなのだと思う。

気になっている女性の話をした後に、平気で「また、そのうち」って言うの、どうでもいい一生恋愛対象に入らない人間に対する態度そのものなんだよな。

 

都合の良い存在でいい、また万が一会えればそれで、と願ったはずだ。

その願いがもういいやになることがあるのか、いつそうなるのかわからないが、何となく先が見える瞬間があるような気がする。

 

それでも、一生のお願いの果てみたいなこの関係を手放すことは、今の自分にはまだできそうもない。