観測者

好きな人(固有名詞)のことを野生動物だと思っている節がある。

私の意思や言葉の通じない、自由で気高い生き物。

男性としてや人間としてというよりも、その美しい儚い命の部分に、どうしようもなく惹かれている。幼い頃に偶然見たイルカに魅せられて、好きが高じて海棲哺乳類専門の写真家になった人みたいに。彼を追い続けることが人生の使命だと思っている。

見返りやファンサービスは無くて当然。「気持ちを通わせる」なんて言葉には吐き気がする。痕跡だけでも見つけられれば御の字。指の先から去り行く後ろ姿まで特別で目が離せない。ピントのぼけた写真も削除できない。

 

野生動物に願いは通じないので、出会いは偶然だし、時折降らせてくれる供給は全部気まぐれによるもので、でも体制を整えてずっと待っていないとその瞬間に立ち会うことはできない。私には祈って待つことしかできない。会っている間も、息を潜めるように彼の動向を邪魔しないようにして、欲しい言葉で相槌を返すことしかできない。

 

もちろん彼は実際は一人の人間なので、他の人とは人間のコミュニケーションをして社会的に生きている。

彼の人格や言葉を直視せずに、ただ美しい生き物の箱に押し込めてこんな関わり方しかできない私は、全然まともに友達やそれ以上をやれているとは言い難いし、人生の恋愛のステージを賭して動物写真家をやるべきではない。

 

それでも、薄い薄い望みの果てで、幻みたいに憧れた姿かたちをとうとう視認すること以上に脳汁が出る瞬間ってこの世にないので、

私は観測をやめられずにいる。