終わんない愛で

年明けの仕事が始まってしばらくは、意味も無くOneNoteを立ち上げて「恋で死ぬ」とか入力したり、定期的に机に突っ伏して天板の冷たさを頬で感じたりと、巨大感情長文をまいにち更新できそうなほど日々狂っていたが、先の見えない絶望感と仕事の忙しさで何も残せなかった。先などないんです

 

会っている間のぶっ壊れた距離感のせいで何もわからなくなっていたが、元来、私と固有名詞は互いに日常には干渉し合わない存在だ。

普段はそれぞれ別の生活があって、別の人間関係があって、趣味が合うわけでも一緒に何かをする訳でもない。

ごくたまに何かのきっかけで会ったら、久しぶりの遠い人同士の距離感で、互いの界隈を知らない客観的な目線で、相手の話にへ〜知らなかった〜〜って言って、次回の約束があるわけでもなくて、それだけだ。

という当たり前のことに立ち戻るのに、ぶっ壊れた距離感の記憶から浮上するのに、3ヶ月かかっていた。

 

そしてもう基本的に会うことのない相手なので、あなたが自分の知覚の及ばないところで生きて/死んでいる毎日に耐えながら、まだ鮮やかな思い出を記憶に変える作業に専念するしかない。

ただただ、もうとっくの昔に終わっているのに、しつこく拍手をし続けて、何回も何回もカーテンコールに引きずり出しているだけなのだ。

 

今後もしまた関わりがあるとすれば、執着心を見せないように、さらっとしているしかない。

生活に侵入しないように。私の視線を感じさせないように。追っかけてた時代なんてありましたねって、懐かしいですねって。

ブログやSNSに張りつきながら、何の情報も持っていないような顔で、最近どう? って訊くしかない。

 

髪を伸ばしたりまつげを上向きにしたり他の人間関係を全部ほったらかしにして待つようなことではない。

それでも、期待も持たずに生きていて、もしまた会える機会があるならば、それだけで願うべくもない儲けものなんです。

 

それでいいの?

 

待っている。目の前の切り株に兎がぶつかってくるのを。ずっと。