知らないていの新しい車を目指して歩く私に、固有名詞が運転席から手を挙げて合図してきた。
10年来の前提が崩れていく。
向こうからの働きかけなんて、起きないはずのものだったから。
固有名詞は、聖堂の十字架のように、私の心の壁の内側の高いところにある象徴としての飾りで、
日々のどうしようもない時に、自分のタイミングで眺めるものだった。
そんな存在が目の前で、自分と相互作用を為していることにひどく困惑している。
20代最後の数年を棒に振ろうとしているが、
既にこちとら高校の頃からの10年あまりをドブに捨てているので、今に始まったことではない。
通勤時に聴いている音楽の情報を聞きだすことができた。
私もそのCD買いましたよ、と言ったら、「お、買いました?」って嬉しそうにしていた。
嬉しそうにしないでほしい。
あなたが聴いていることを、SNS上の情報で確信して買ったんだから。