思い出してもどうにもならないこと

年が明けたらもう2年前のことになってしまう。こんな調子で好きな人のことを考えているうちにすぐ50年とか60年とか経って死ぬんだろうな、という自覚がある。

 

好きな人も、ほんとうは私のことそんなに嫌いじゃなかったんじゃないか と思うことがある。一緒にご飯を食べたいって言ったら自分のお弁当があるのに学食で一緒にうどんを食べてくれたこととか、ガチャガチャでかぶったマスコットを無言で机に置いていったらやれやれみたいな顔をして鞄にしまって、部屋に行ったらコルクボードにつるしてあって「持ち歩いて汚したら困るから…」って言われたこととか、毎日のように一緒に帰ってくれて何度も信号が青になったのに気付かないふりをしてくれたりとか、こんなんじゃだめだだめだやめよう と思っている時に限って向こうから話しかけてきたりとか、そんなことばっかり思い出してしまう。

 

もしかしたらあの人も私のことをそんなに嫌いじゃなかったかもしれない。しかし、決して私を好きだったわけではなかった。人の心がないように見えて人一倍寂しがりだった。寂しさを紛らわすことができれば誰でもよかった。私は多少かき回して紛らわすことはできても埋めることはできなかった。自分を大切に守ることよりも、世話を焼いたり振り回されたりしてまで自分の存在を保とうとした彼は、手近な誰に乞われても同じようにしただろう。誰にでも優しい人は誰にも優しくないのと同じ、の範疇だ。 

 

この人は誰のものにもならなくて、でもきっといちばん深くまで近付けたのはわたしだ、とあの頃の私は思っていた。付き合えないって言われても、彼は誰ともそういう関係にはならなくて、この体温を私が知っていることがすべてだ、と思っていた。

だから、そんな人が何年もひとと付き合っていたと知ってひどく悲惨なこころもちになったのだ。ちゃんと好きな人には好きって言うのか。やっぱり私が 誰にでも の範疇だっただけなのだ。誰にでも にさえあんなにほしいようになってくれるのに、好き合う相手にはいったいどれだけ…と思い出に真綿で首を絞められる。

私にとってあの人は途轍もなく大きな存在だった。今も。でもあの人にとって私は全然どうでも誰でもいい背景の一部だったのだ。今も昔も。あの人が私をどうでもいいように私もどうでもよくなってあげたかった。こちら側の気持ちばかりこうなのが怖い。