匂い

匂いは、目で見えたり明確に言い表せたりするものでないぶん、認識の深いところに潜むような気がする。忘れていたはずの記憶や幼いころの思い出が、嗅覚によってふっと新鮮に呼び出されることがある。

数年ぶりに会う好きな人の匂いは、高校の頃から少し変わっていたようだった。洋菓子の焼ける家の西向きの畳の部屋の少年から、洗濯物を部屋干しするアパート暮らしの成人になっていた。ベッドに腰掛けて髭を剃る姿に、もうあの中性的な少年はいないんだ、と悟った。よく鳴る低い声は当時からのものだった。

香水を持って行った。初めて買ったものだった。コスメブランドの女性向けの甘い香りのものだったが、寧ろ熱感のある文科系男子学生の制服の内側のような深い落ち着いた香りで気に入っていた。肌着につけて布団に入った。夜に馴染む匂いだった。

 

あ、と思ったのは行旅を終えて現実に戻ってしばらく経ってからである。既に一生をかけて何度も何度も擦り切れるまで脳内再生することが決定していたような、人生のたいへんに大きなイベントであるその行旅の記憶のトリガーは、自分の香水の匂いになっていた。

思い出のあとで特別な回を想起させるのが、自分由来の匂いなのである。体が引き離されるような絶望感があった。 好きな人のものでもなんでもなくて、市販のそれも自分サイドのラベルで、特別が名付けられてしまった。その辺りのテスターでかんたんに自傷行為ができるのだ。人肌の地獄のような思い出があまりに生々しくて、香水を使う頻度は減った。

心身の表面から旅の記憶が薄れかけたころ、アトマイザーの蓋が外れて鞄が香水の香りでいっぱいになってしまったことがあった。好きな人の逆襲のような気がした。しかしこれは好きな人の意志とも現在とも無関係な、私の香りなのである。好きな人との思い出の香りでこそあれ、好きな人の匂いではなかったのである。

 

その香水は昨年の秋に廃盤となった。それから一度だけ山手線で同じ香水の人と擦れ違ったことがある。思わず振り返ったらその女性もこちらを見たような気がして、そうと確信しないうちに列車のドアが閉まった。それきりである。