熱以外のすべて

知らないていの新しい車を目指して歩く私に、固有名詞が運転席から手を挙げて合図してきた。

10年来の前提が崩れていく。

向こうからの働きかけなんて、起きないはずのものだったから。

 

固有名詞は、聖堂の十字架のように、私の心の壁の内側の高いところにある象徴としての飾りで、

日々のどうしようもない時に、自分のタイミングで眺めるものだった。

そんな存在が目の前で、自分と相互作用を為していることにひどく困惑している。

 

20代最後の数年を棒に振ろうとしているが、

既にこちとら高校の頃からの10年あまりをドブに捨てているので、今に始まったことではない。

 

通勤時に聴いている音楽の情報を聞きだすことができた。

私もそのCD買いましたよ、と言ったら、「お、買いました?」って嬉しそうにしていた。

嬉しそうにしないでほしい。

あなたが聴いていることを、SNS上の情報で確信して買ったんだから。

 

 

終わんない愛で

年明けの仕事が始まってしばらくは、意味も無くOneNoteを立ち上げて「恋で死ぬ」とか入力したり、定期的に机に突っ伏して天板の冷たさを頬で感じたりと、巨大感情長文をまいにち更新できそうなほど日々狂っていたが、先の見えない絶望感と仕事の忙しさで何も残せなかった。先などないんです

 

会っている間のぶっ壊れた距離感のせいで何もわからなくなっていたが、元来、私と固有名詞は互いに日常には干渉し合わない存在だ。

普段はそれぞれ別の生活があって、別の人間関係があって、趣味が合うわけでも一緒に何かをする訳でもない。

ごくたまに何かのきっかけで会ったら、久しぶりの遠い人同士の距離感で、互いの界隈を知らない客観的な目線で、相手の話にへ〜知らなかった〜〜って言って、次回の約束があるわけでもなくて、それだけだ。

という当たり前のことに立ち戻るのに、ぶっ壊れた距離感の記憶から浮上するのに、3ヶ月かかっていた。

 

そしてもう基本的に会うことのない相手なので、あなたが自分の知覚の及ばないところで生きて/死んでいる毎日に耐えながら、まだ鮮やかな思い出を記憶に変える作業に専念するしかない。

ただただ、もうとっくの昔に終わっているのに、しつこく拍手をし続けて、何回も何回もカーテンコールに引きずり出しているだけなのだ。

 

今後もしまた関わりがあるとすれば、執着心を見せないように、さらっとしているしかない。

生活に侵入しないように。私の視線を感じさせないように。追っかけてた時代なんてありましたねって、懐かしいですねって。

ブログやSNSに張りつきながら、何の情報も持っていないような顔で、最近どう? って訊くしかない。

 

髪を伸ばしたりまつげを上向きにしたり他の人間関係を全部ほったらかしにして待つようなことではない。

それでも、期待も持たずに生きていて、もしまた会える機会があるならば、それだけで願うべくもない儲けものなんです。

 

それでいいの?

 

待っている。目の前の切り株に兎がぶつかってくるのを。ずっと。

帰る場所

前回の記事に情けない追記をした。チケットは公開時点で手元になかった。

 

夢中になれる趣味があって、気が合う仲間がいて、生きていてくださって本当によかった。もう死んで欲しいなんて思わない。どうか健やかにいてほしい。

あなたがくれた熱と褒めてくれた声が自分の全てなので、この肉体を形見として自分も生きていく。

神様のポジションから引きずり下ろしきれたかはわからないが、回を重ねるたびに、もうこれが最後だ だけではなく また会えたらいいな、と思ってしまっている自覚がある。いつか終わりは来るだろうが、会いに行ける神様にしてしまっている。

もしまた向こうから連絡があれば、彼女さんでもできるまでの間、暇潰し相手にしてくれればと願ってしまう。自分がしてしまったことを棚に上げて、誰でもいい の 誰でも に入ろうとしている己に酷く嫌悪感が湧くし、相手がどう思っているかは分からないが、ある優しさには甘えさせていただく。

 

谷川俊太郎先生の詩「頼み」に、「(前略) 行かせてくれ俺を (中略) あの女の上へ」という一節がある。現実に耐えられなくなった時にはいつも思い出す。私が帰る場所はあなたの腕の中にしかない。目を閉じれば行ける。行かせてもらう。

 

チケット

あまり自分からばかり相手に会う約束をとりつけたがるのはよくないと思っていて、一度自分から連絡したら、その次は相手からの連絡がない限り会いたいと言わないようにしている。

連絡が来なかったら自分はその人の中でその程度の存在なんだなと、身の程を弁えることができる。優しい人に一方的な思いを向けるのは申し訳ないので。

 

去年の暮れに、好きだった人から連絡があり、大晦日サイゼリヤでティラミスと間違い探しをしばいて解散した。

返事があるかどうかはともかくとして、また連絡していい権利は今自分の手の中にある。

このチケットを握りしめていることに満足して一生が終わるような気持ちもする。

鳴らしはしないけれど人恋しくてナースコールのブザーを握りしめていた入院時代を思い出す。

 

 

 

 

※この文章は2021年11月のもので、チケットはもう手元にありません。

オムファタル

世界を終わらせる男がいるかと言われればそれは間違いなく存在していて、現に私の世界は完全に破滅してしまった。

 

会社を通しての出会いだったが、関わらないほうが自分の心の平穏のために良さそうだ、と存在を知ってから一年近くは距離を置いていた。

深入りしないほうが良かった、と今でも思っている。

 

残業続きの冬の日、同期に誘われて行ったカラオケの場に彼はいた。

遠い世界の存在が生身でぼくの眼前に現れた。都心の駅前の巨大なモニターの画面の向こうから、映画の主演俳優が飛び出してガラスと一緒に降ってくるような気持ちがした。

棚から牡丹餅。瓢箪から駒。それはぼくの人生において全く想定していない出来事で、ほぼ考える余地もなく、取り返しのつかない方に身を委ねてしまった。

だってこんなこと滅多にないじゃん、というだけのシンプルながらも凶悪な理屈が、全ての理性的な考えをブッ潰して勝った。

圧倒的に美しい人間の存在が、今までぼくの脳内を占めていた繊細な妄想や朧な記憶や小説の続きや美術展への興味をぜんぶ追い出して君臨した。

 

神様、お願いだから私をこの人のそばにいさせてください! それだけが原動力になってしまって、客観的に考えて一緒にいることが私の首を絞めているのだとしても、離れるという選択がとれなくなってしまった。

 

カーステレオは彼のiPhoneとの無線接続で知らない曲を流し続けていて、もう、自分がどんな音楽を聴いていたのかもぱっと思い出せなくなってしまった。

旅行の持ち物(自分用・逐次追記)

◎小さい鞄の中身

携帯電話

財布

チケット

イヤホン

ティッシュ

龍角散

口紅

腕時計

リップクリーム

ハンドクリーム

 

 

 

◎リュックサックの中身

メイクポーチ

眼鏡

マスク

ペンケース

モバイルバッテリー

カメラ

歯ブラシ

アクセサリーケース

ウエットティッシュ

飲み物

カイロ

香水

頭痛薬

ジップロック

日焼け止め

絆創膏

生理用品

 

 

 

◎泊まる荷物 

寝る時の上下

下着

靴下

タオル

メイク落とし

洗顔

シャンプー・リンス

シェーバー

化粧水・乳液

コットン・綿棒

ボディクリーム

脱いだ服を入れる袋

お風呂に行くバッグ

コンタクトレンズ

ドライヤー

ヘアアイロン

トリートメント

ワックス

ネイルカラー

除光液

爪切り

メディキュット

ブラトップ

充電器

雨具

 

 

 

◎歌う時の荷物

楽譜

譜面台

ピッチパイプ

名刺

差し入れ

 

成人向けコミックを読めなくなった話

大学2年の頃から成人向けコミック誌を購読していた。

快楽天BEASTと、幾花にいろ先生のファンになってからは快楽天本誌の、月に2冊。単行本も出版社や掲載誌に拘らず40冊ほど買った。

 

私には自分の身体と結び付いた性欲がなかった。純粋な興味と、女の子が可愛いなという気持ちだけで読んでいた。

決して経験がなかったわけではない。寧ろだいたいこんなもんなんだな、と悟り始めた頃だった。セックスは自分の体を通貨に綺麗な男の裸を見られるシステムだと思っていた。ロマンチックな漫画の中のそれは、魔法と同じような空想の産物だと思っていた。

 

快楽天は成人向けコミックの中でもマイルドで純愛系で、登場人物も同世代が多い。友人にも読者が一定数いて、新刊の話題共有は日常の楽しみの一つだった。

ある日、そんなエロマンガ仲間の1人が話の輪から脱落した。突然のことだった。彼は最近初めての恋人ができ、ひととおりの性交渉を経験したところだった。

「今まで空想の世界の出来事だと思って享受してきたものが、現実に誰かの体験しうるものだったと気付いてしまった。フィクションとして楽しんで消費していたのに、実はすぐそばにある生々しいものだった」

彼は非現実的な巨乳ものや異種姦でしかセルフプレジャーができなくなったという。

よくわからないけれど可哀想だな、と思った。

 

しばらくして、自分にもその時が訪れることになる。

性癖をぶち曲げられたままかけられていた鍵が、同じその手で解かれることになった。密かな思いやおぼろな夢を踏みにじるような、暴力的でさえある施しだった。丁寧に無責任に火を付けられて、身体的な時間が数年ぶりに動き出した。

 

不本意ながら生きて帰って、また少しづつ日常に戻った。歌を歌って、食事を摂って、いつも通りに快楽天を買った私は、成人向けコミックを直視できなくなっていた。

 

よく覚えている。好きな作家さんの作品が掲載されている号だったから早速そこから読もうと思った。部屋で二人になって、ヒロインの女の子のボーダーの服の脇腹を青年の大きな手が這う、そのあたりで、私は作中の二人ではない二つの体の出会いをどうしようもなく想起してしまった。これを知っている。私はこれを知っている。その日は本を閉じて、そのままずっと開くことができなかった。

 

地続きになってしまった。服を着せて出掛けるだけのなんでもなかったはずの自分の体が、成人向けコミックのそれと同じだと気付いてしまった。女の子がかわいい、とかそんな理由で読めなくなってしまった。漫画の一篇一篇がフィクションだとして、しかしこの行為は、この歓びは、身の回りに介在するものなのだ。

全てのページが魔法陣のように記憶を呼び出して、私の回想と自傷を手伝った。

プレイしたことのない競技を題材にしたスポーツ漫画をたのしく読んでいたはずが、苦い経験と忘れられない思い出の地雷原を歩くことになっていた。全ての刺激が彼の記憶に繋がった。しかしどんな興奮も、彼が与えたものを上書きすることはできなかった。

 

好きな作家さんの短編も途中までしか読めないまま、そのまま雑誌を閉じて長いこと放置してしまった。

それから、成人向けコミックを買うことは例外を除いてなくなった。セクシャルな刺激で体を煽っていたずらに思い出すより、覚えていることだけで、薄暗い心の中で静かに反芻することを私は選んだ。