成人向けコミックを読めなくなった話

大学2年の頃から成人向けコミック誌を購読していた。

快楽天BEASTと、幾花にいろ先生のファンになってからは快楽天本誌の、月に2冊。単行本も出版社や掲載誌に拘らず40冊ほど買った。

 

私には自分の身体と結び付いた性欲がなかった。純粋な興味と、女の子が可愛いなという気持ちだけで読んでいた。

決して経験がなかったわけではない。寧ろだいたいこんなもんなんだな、と悟り始めた頃だった。セックスは自分の体を通貨に綺麗な男の裸を見られるシステムだと思っていた。ロマンチックな漫画の中のそれは、魔法と同じような空想の産物だと思っていた。

 

快楽天は成人向けコミックの中でもマイルドで純愛系で、登場人物も同世代が多い。友人にも読者が一定数いて、新刊の話題共有は日常の楽しみの一つだった。

ある日、そんなエロマンガ仲間の1人が話の輪から脱落した。突然のことだった。彼は最近初めての恋人ができ、ひととおりの性交渉を経験したところだった。

「今まで空想の世界の出来事だと思って享受してきたものが、現実に誰かの体験しうるものだったと気付いてしまった。フィクションとして楽しんで消費していたのに、実はすぐそばにある生々しいものだった」

彼は非現実的な巨乳ものや異種姦でしかセルフプレジャーができなくなったという。

よくわからないけれど可哀想だな、と思った。

 

しばらくして、自分にもその時が訪れることになる。

性癖をぶち曲げられたままかけられていた鍵が、同じその手で解かれることになった。密かな思いやおぼろな夢を踏みにじるような、暴力的でさえある施しだった。丁寧に無責任に火を付けられて、身体的な時間が数年ぶりに動き出した。

 

不本意ながら生きて帰って、また少しづつ日常に戻った。歌を歌って、食事を摂って、いつも通りに快楽天を買った私は、成人向けコミックを直視できなくなっていた。

 

よく覚えている。好きな作家さんの作品が掲載されている号だったから早速そこから読もうと思った。部屋で二人になって、ヒロインの女の子のボーダーの服の脇腹を青年の大きな手が這う、そのあたりで、私は作中の二人ではない二つの体の出会いをどうしようもなく想起してしまった。これを知っている。私はこれを知っている。その日は本を閉じて、そのままずっと開くことができなかった。

 

地続きになってしまった。服を着せて出掛けるだけのなんでもなかったはずの自分の体が、成人向けコミックのそれと同じだと気付いてしまった。女の子がかわいい、とかそんな理由で読めなくなってしまった。漫画の一篇一篇がフィクションだとして、しかしこの行為は、この歓びは、身の回りに介在するものなのだ。

全てのページが魔法陣のように記憶を呼び出して、私の回想と自傷を手伝った。

プレイしたことのない競技を題材にしたスポーツ漫画をたのしく読んでいたはずが、苦い経験と忘れられない思い出の地雷原を歩くことになっていた。全ての刺激が彼の記憶に繋がった。しかしどんな興奮も、彼が与えたものを上書きすることはできなかった。

 

好きな作家さんの短編も途中までしか読めないまま、そのまま雑誌を閉じて長いこと放置してしまった。

それから、成人向けコミックを買うことは例外を除いてなくなった。セクシャルな刺激で体を煽っていたずらに思い出すより、覚えていることだけで、薄暗い心の中で静かに反芻することを私は選んだ。