大切な人

知り合いの歌のステージに足を運んだ折、

MCで「大切な人を思い浮かべて聴いてくださいね💓」的な一言があった。

一瞬、誰のことを考えたらいいのかわからなかった。しばらく考えても、候補は挙がれど特定の一人を脳裏に呼び出すことができなかった。

誰のことも大切にできてなどいないのだ。

 

 

数年来に聴いた好きな人の声は、大学で見付けて付き合った人の寝る前の低い声に似ていた。私が彼を気に入った部分だった。

我ながら初手でいい線行ってたな、と思った。 

 

 

備忘ふたつ



飛行機に乗った。
飛行機に乗ったのは高校の修学旅行ぶりで、私はまたひとつ好きな人のいた記憶を好きな人のいない記憶で上塗りしてしまったのだった。
離陸の際、もう飛ぶのだろうと思ったところからさらに出力が上がって、けっこうな圧力で背もたれに体が押し付けられた。怖かった。何でもいいから隣の人の手を握りたいと思った。隣にいるのが好きな人だったらと思った。この音と振動の中で彼の手を私でない誰かの手が掴む光景を脳裏に見た。きっと実際にあったことだろうなという漠然とした確信があった。
隣の席は米国からの同じ歳くらいの女性で、挨拶してから着陸までずっと眠っていた。





良い匂いのする人と敷布団との隙間に顔を突っ込んで眠る機会があった。
思ったより高めの体温をしていた。白磁か大理石か何かで出来ているような人だと思っていたので少し意外だった。
懐に額をつけて布団を被っていると、驚いたことに息が苦しくなった。えっ…? と思った。こんな時くらい人体は呼吸しなくてもよくなってほしいと思った。こんなに全然生に前向きではないのに、自分が新鮮な空気を欲していることに驚いた。いいじゃん、どう考えてもこのまま死ぬのがよくない…? と。
しばらくの苦しさののち、情けない生の実感に負けて、隙間を開けた。

夢-2

また夢の話。夢のない話でもある

 

それなりに好意を向けているひととちょっとそういう雰囲気になりかけて、いいところで目が覚める。もしくは結局未遂で終わる。という夢を見ることがしばしばある。 

ほっそりした眼鏡の先輩を押し倒して、チューしたろ! その前にリップクリーム塗っとくか…とメイクポーチをガサガサしている間に目が覚めたりとか、いい雰囲気になるも最近全然無駄毛の処理をしていないことに思い当たり不本意ながら健全解散したりとか、好きな人に会う日に予定外に生理が来たりとか、そんなのばっかりである。

悔しさと喪失感で一日中ぽかんとしてしまう。夢ってある程度深層心理や欲求を反映したものじゃない? どうして どうしてこんな中途半端な… と悶々と引きずってしまう。

 

しかし自分のヘタレ童貞ムーブから考えるに、このクソダサい結末こそが真に私の望む在り方 なのかもしれない。

可能性はあったけれど大切な人を汚さずに済んだ、自分の手を汚すことも絶望的に関係を壊すこともなかった、と目覚めてほっとする部分があるのだ。夢のことでさえ、自分という解釈違いの異物が大切な人に触れることに嫌悪感を抱いてしまう。ごく稀にいっそどうにかなる夢を見たあとは、未遂の夢の後とは桁違いにショックを受けて、当分関係者と目を合わせられなくなる。

 

永遠にどうにもならずに一人で悶々とする思い出 の方が、最後までどうにかなって完全に終わってしまうより価値あるもの。そのような気持ちの反映だ。

セックスしないと出られない部屋から出る気もなく現状に甘んじて妄想で満足している今がそのまま現れた夢だろう。

クソダサくて気持ち悪いことに変わりはない。

 

 

 

好きな人の夢を見ることがある。

 

好きな人の夢に好きな人は出てこない。大きい流れ星が消えないうちに好きな人の名前を10回言えたとか、友人からの一斉送信のメールの宛先に私とあの人が一緒にいて許されたような気持ちになるとか、用もないけど3年3組の前の廊下を通ろうとするとか、そんな程度のことだ。

 

私にとって重要なのは、好きな人そのものよりも私が彼を好きでいること、のようである。

心の中で何年も練り上げたあの人への想いが、私側の輪郭が、私にとっての 好きな人 なのである。この祈りにはもはや本人さえ不要なのだ。

人の時間で考えたらほんのちょっとのすれ違いの薄片を抱えて、本人の意思や知覚の及ばない雪坂を転げ落ちている。

思い出してもどうにもならないこと

年が明けたらもう2年前のことになってしまう。こんな調子で好きな人のことを考えているうちにすぐ50年とか60年とか経って死ぬんだろうな、という自覚がある。

 

好きな人も、ほんとうは私のことそんなに嫌いじゃなかったんじゃないか と思うことがある。一緒にご飯を食べたいって言ったら自分のお弁当があるのに学食で一緒にうどんを食べてくれたこととか、ガチャガチャでかぶったマスコットを無言で机に置いていったらやれやれみたいな顔をして鞄にしまって、部屋に行ったらコルクボードにつるしてあって「持ち歩いて汚したら困るから…」って言われたこととか、毎日のように一緒に帰ってくれて何度も信号が青になったのに気付かないふりをしてくれたりとか、こんなんじゃだめだだめだやめよう と思っている時に限って向こうから話しかけてきたりとか、そんなことばっかり思い出してしまう。

 

もしかしたらあの人も私のことをそんなに嫌いじゃなかったかもしれない。しかし、決して私を好きだったわけではなかった。人の心がないように見えて人一倍寂しがりだった。寂しさを紛らわすことができれば誰でもよかった。私は多少かき回して紛らわすことはできても埋めることはできなかった。自分を大切に守ることよりも、世話を焼いたり振り回されたりしてまで自分の存在を保とうとした彼は、手近な誰に乞われても同じようにしただろう。誰にでも優しい人は誰にも優しくないのと同じ、の範疇だ。 

 

この人は誰のものにもならなくて、でもきっといちばん深くまで近付けたのはわたしだ、とあの頃の私は思っていた。付き合えないって言われても、彼は誰ともそういう関係にはならなくて、この体温を私が知っていることがすべてだ、と思っていた。

だから、そんな人が何年もひとと付き合っていたと知ってひどく悲惨なこころもちになったのだ。ちゃんと好きな人には好きって言うのか。やっぱり私が 誰にでも の範疇だっただけなのだ。誰にでも にさえあんなにほしいようになってくれるのに、好き合う相手にはいったいどれだけ…と思い出に真綿で首を絞められる。

私にとってあの人は途轍もなく大きな存在だった。今も。でもあの人にとって私は全然どうでも誰でもいい背景の一部だったのだ。今も昔も。あの人が私をどうでもいいように私もどうでもよくなってあげたかった。こちら側の気持ちばかりこうなのが怖い。

翌檜

何だったのか未だにわからなくて、永遠に確かめもできないことがある。

 

好きな人の家のソファーに沈んで、半身に温もりを感じながらぎこちなく座っていた。テレビでは卓球の試合の録画か何かが流れていた。一度立ったらもう同じ場所に戻れない気がして、ただただポジションを守るように状況を噛み締めていた。

まだ互いについて知らないことも多いような、浅い始まりの頃だった。部活のことや中学時代の話など、誰とでも話す基本的なことを情報交換していた時期だった。少なくとも彼にとって私は、互換性のあるクラスメイトのうちのひとり くらいの認識だと思っていた。

 

身長の話をしていた。

 

150cmはあるんだよ。

じゅうぶん小さいですよ… 死角に入って見えないことあります

なんだと!?

立ってみて

 

彼に背を向けて立った。まず肩に置かれた手に驚いて なになになに!? と思った。声にも出ていたと思う。返事はなくて、小さいですね… などという言葉と共に頭の上に顎の乗る感覚があった。背面が温かかった。私はなんだかわからなくて、ひたすらテンパってラジオ体操で骨折した人の話か何かを反対側の壁に向かって早口で片言でしゃべっていた記憶がある。しばらくの時間のあと、はい、と彼の体と私の体の間に空気の層が割り込んできて、何も無かったように二人でソファーに戻った。

 

もしかしたらあの時彼は私を抱き締めていたのかもしれない と気付いたのは、それから数年後に恋人ができてからだった。

たけのこの里

好きな人が好きだった。どうにもならない恋だった。

そもそも彼を知ったきっかけは、彼が私の友人を恋うていることをその友人から聞いたことだった。その気持ちは少なくとも高校を卒業するまで変わらないようだったので、私は負け戦に励んでいたのだ。しかし仮に彼女の存在がなくても、もっと根本的なところで私たちはどうにもなれなかった。

まず性格が合わなかった。彼が好む友人や先生を、私は決まって苦手とした。話していても、片方にとっては何の興味もない話題を彼の優しさと私の恋心でうんうんって聴いているだけだった。時間やお金の使い方の感覚もずれていた。彼が好きなボウリングやテレビゲームのことが私には全くわからなかった。食べ物の好みから好きなルーズリーフの書き味までぜんぶ違った。そんなふうに最初から破綻しているのに私は彼を追いかけて一緒に居たがり続けるので、好きな人はさらに疲弊して愛想を尽かしていった。

私が彼を好きなだけで関係のある2人だった。どうしてそれでも好きで居続けられたかと言えば、それは私が彼の自分にとって都合の悪い部分を無視していたからに他ならないだろう。
気が合わなくても趣味が合わなくても付き合えないって言われても、聞こえないように脳死のように好きだった。交際に至ることはないから、自分の中で一方的に気持ちを抱えられれば満足だから。気が合わないのに。趣味が合わないのに。付き合えないって言われているのに。
いくら綺麗に保存したい片思いって美化したくてもこれはあんまりだ。自己満足にもほどがある。自分で吐き気さえする。

唯一、好きな人と一緒だったことがあって、それはきのこたけのこ戦争におけるたけのこの里派だったことだ。ずっと見ていたのに、そんな人類の大半がそうであろうことでしか、とうとう共通点を見つけることができなかった。